2025年2月28日から3月5日まで、オーストラリアはメルボルンで開催されていたAsiaTOPA(Asia-Pacific Triennial of Performing Arts)へ、Jang-Chi(オル太)加藤奈紬といった「IN TRANSIT」の育成対象者とともに視察に行くことになった。ただし今回は、去年のデュッセルドルフ・Nippon Performance Nightsとは違って、育成対象者の公演が行われるわけではなく、フェスティバル全体の視察やそこで上演される作品の観劇、関係者同士のネットワーク構築が主な目的となっていた。

まずは、日本ではいまだ知名度の低いこのフェスティバルについて、簡単に紹介することからはじめよう。2017年に創設されたAsiaTOPAは、その名の通り、アジア・オセアニア地域の演劇やダンス、パフォーマンス作品を集中的に上演する3年周期の国際フェスティバルだ。舞台芸術を中心としつつも、プログラムには美術館やギャラリーなどでの展示も含まれていて、広くアジア・オセアニアの「アート」に焦点を当てたフェスティバルとなっている。2020年に第2回が開催されてからコロナ禍の影響もあって少し間が空いたものの、今回から新ディレクターにジェフ・カーン(Jeff Khan)を迎えて5年ぶり3回目の開催となった。約3週間の開催期間中には、メルボルン市内にある35の会場で計62の上演や展示、イベントが行われており、4日間で7本の公演と5つの展示を巡ることができた。この時期は、南半球にあるメルボルンは夏の終わりの気配を感じさせる快適な気候で天気も良く、やや日差しが強いことを除けば各会場をハシゴして巡るのに最適な季節だった。

今回の滞在期間中で印象的だったことのひとつが、メイン会場であるアーツセンター・メルボルンのなかに、アーティストや制作関係者の交流とネットワーク構築を目的とした場が設けられていた点だ。国際的なフェスティバルにおいて、そのような場が設けられること自体は特に珍しくもないが、注目すべきは、研究者やドラマトゥルク、アーティストたちが登壇するシンポジウムがそこで開催されるなど、研究や批評と実践とを繋ぐ回路の構築も模索されていた点だ。これは、私のような、そもそも研究・批評と現場との相互的な緊張関係が完全に欠如した場所(=日本)から来た人間からしてみれば、どれだけ実際的な有効性を持つかはともかくとして、非常に印象的な体験だった。

アーツセンターメルボルンの様子

AsiaTOPAのプログラム作品は、メルボルン一帯の劇場やかつての工業施設を改修したアートスペースなど、基本的には100~200人程度のさほど大きくない規模の会場を用いて上演されていた。多くの作品は出演者1~3人程度、上演時間も90分前後で、作品の規模も小さいものが多かった。チケット代は日本円でだいたい3500円から4000円ほどで、野外で行われるパフォーマンスや、ギャラリーでの小規模な展示など無料で触れられるものも少なくなかったが、作品の規模を考えるとやや割高に感じた。

前回や前々回がどうだったのかわからないが、少なくとも今回上演されていた作品の形式や内容は多種多様で、特定の問題意識のもとに集められたわけではなく、全体としてショーケース的な性質が強い場のように感じられた。とくに、滞在期間中は関係者のネットワーク構築に重点が置かれていたこともあってか、そもそも上演されていた作品の数自体が少なく、また、評価に値する作品と出会う機会も少なかったのはやや残念に感じた。その要因としては、全体として、誰に何をいかに見せる/見せたいのか、フェスティバルの根幹となるべきドラマトゥルギーが希薄だったことが考えられる。ただ、そもそもAsiaTOPA自体が、国際的な演劇マーケットの「最終目的地となるフェスティバル」ではなく、むしろその反対に、作品やアーティストの出発点となるべき場として設定されていることは考慮に入れておく必要があるだろう。

会場付近の様子

それでもいくつか注目すべき作品はあって、ここでは2つの作品を取り上げてみたい。

2024年のKYOTO EXPERIMENTにも招聘され話題を呼んだムラティ・スルヨダルモによる『BORROW AND EXERGIE – BUTTER DANCE』は、彼女の来歴を振り返るレクチャー・パフォーマンスと、代表作の『BUTTER DANCE』の上演とを組み合わせて構成された作品だ。上演の流れは非常にシンプルで、前半のレクチャー部分では、インドネシアで民族舞踊を習っていた幼少期から、ドイツに渡って古川あんずのもとで舞踏を学び、そしてパフォーマンス・アートで有名なマリーナ・アブラモヴィッチとの出会いを経て『BUTTER DANCE』に至るまでが時系列に沿って語られる。さまざまな場所を移動しながら異なる文化や社会、身体と出会い、それを通じて、自らの身体と文化的・政治的環境の関係を問題とする作風へと行き着いた経緯が明かされる。

出典:Asia TOPA 公式WEBサイト(https://www.asiatopa.com.au/)|『BORROW AND EXERGIE – BUTTER DANCE』

彼女が語る内容は唯一無二のもので、それ自体で非常に興味深いのだが、加えてスルヨダルモは語りの内容に合わせて、自身が師事したアーティストたちから継承した身体の動きを舞台上で再現してみせる。「いま・ここ」の舞台に立つスルヨダルモの身体が有する、それぞれのパフォーマンスやトレーニングの記憶が、具体的な行為の再現=再演を通じて開示されていくのだ。そして最後の『BUTTER DANCE』では、黒のワンピースと真っ赤なハイヒールを履いたスルヨダルモが、次第に溶けていくバターの塊の上で踊る。バターが溶けるにつれて足を取られ、滑り転び油に塗れながらもひたすら続く踊りは、そのものが強度の体験としてあるだけでなく、さまざまな記号的読解を観客に促す。ただし今回この作品を取り上げたのは、スルヨダルモの身体とパフォーマンスによって上演の強度が担保されており、上演の時空間的枠組みにおいて作品が完結していたと考えられるからだ。

反対に、愛知県芸術劇場とオーストラリアの人形劇団テラッピン・パペット・シアターの国際共同制作『Gold Fish[1](作:ダン・ジョバノニ、演出:鳴海康平(第七劇場)&サム・ラウトレッジ)は、上演の「外」に観客の意識を向けさせるだけでなく、作品それ自体が「外」へ反転する構造を有していた点で興味深い。こちらも物語の流れはシンプルで、子供向けの人形劇を上演していた劇場が、突如として起きた水害(洪水)によって防災センターになってしまったという──ここでの「水害」は、日本の文脈では間違いなく東日本大震災等での津波を想起させるものだが、オーストラリアにおいては地球温暖化による洪水問題を連想させる──導入から、人形劇を上演していたアーティストが「見立て」の手法を用いて、防災センターで行われる行為や出来事を演劇化することによって、もともとの「お話」を上演してしまう様子が描かれる。ここで示されていたのは、「演劇なんかやってる場合か!」的状況それ自体を演劇にしてしまうという、災害時において演劇(芸術)は「外」の社会といかなる関係を構築しうるか、という問いに対するささやかな回答だった。加えて、上演で用いられる小道具=ブルーシート、脚立、三角コーン、防災用食料品などは上演地で現地調達され、公演後には防災センターなどに寄付されるというが、このような上演外の枠組みもまた、それ自体が昨今の二酸化炭素排出の問題に対するひとつの応答になっている点は興味深い。本作が有するこのようなSEA(Socially Engaged Art)的側面は、いまだ日本の演劇界ではさして注目されないが、劇場の、あるいは演劇界の「外」で確実に悪化しつつある環境問題へと観客の思考を不可避的に誘う力を有していた。特に日本の小劇場演劇においては、サークル的部活動的意識しか有さない作品とそれを「応援」する客席との共犯的引き篭もり状況が依然としてあり、このような「外」への思考の契機となる作品はそれだけでも価値あるものといえるのではないか。

上演それ自体を巧みに構築することによって観客を魅せてしまうスルヨダルモと、観客を巻き込みながら「外」へと向かう『Gold Fish』。この2作品の対比は、現在の国際フェスティバルで上演される作品の傾向を示しているように思われた。AsiaTOPAという具体的な場においてそれに触れることができたという点で、今回の視察はそれなりに有意義なものだったといえるだろう。

執筆:関根遼


[1] 日本上演時の作品タイトルは『ゴールドフィッシュ〜金魚と海とわたしたち〜』で、2025年2月9日に愛知県芸術劇場小ホールで初演された(筆者は未見)。


AsiaTOPA(Asia-Pacific Triennial of Performing Arts)
会期|2025年2月20日-3月10日
エリア|メルボルン Melbourne
WEB|https://www.asiatopa.com.au/