
2018年5月、ベルリンでのこと。
マイクを握った司会者は、集まった人々に向けて「それでは、世界中から集まった素敵な仲間たちを紹介します!」と宣言した。ガラス張りの建物の中には、ドイツ人を中心とする(であろう)大勢の人々が座っていて、華やかなセレモニーの雰囲気に満ちている。そして、国名と名前が呼ばれると、それぞれが前に出ていき、会釈をしたり手を振ったりする。
「続いては日本から! ユータ・ハギワラ!」
そう呼ばれ、なんとなく愛想よく振る舞ったような気がする。もう随分前だから詳細は忘れてしまったし、いろいろと捏造されているような気がしなくもないのだけど、世界でも有数の演劇祭である「Teatertreffen(ベルリン演劇祭)」で行われる、世界中から30人以上の若いアーティストを集めた育成プログラム「インターナショナルフォーラム」に参加したときの一幕は、わたしの脳裏にこんな風に記憶されている。
「……不快だ」
そう思ったいちばんの理由が、世界各国から若いアーティストを集めるその理由が「ドイツのため」なのがあからさまなセレモニーだったからだ。ドイツの文化を諸外国に輸出する組織であるゲーテ・インスティトゥートのお金を使っているのだから当然なのかもしれないし、彼らの態度はとても丁寧だから、そういう意味で不快な振る舞いを受けたということもない。でも「ドイツ人の寛容さ」や「美しき多様性」のために、アジア、アフリカ、ラテンアメリカなど、非ヨーロッパの国々から来ている人々を使っているのはどうなんだろうと思うし、少なくとも使われている当人からすれば、あまり心地のいいものではない。

Teatertreffenを開催するベルリナー・フェストシュピーレ(2025年撮影)
「いったいなんなんだ、あれは?」
このイベントが終わった後、非ヨーロッパ圏からやってきている参加者ら何人かでぶつくさと話していたから、程度の差はあれど、この不快さはわたしだけのものではなかったらしい。そして、このぶつくさメンバーのひとりが、中国出身のダンス演出家・王梦凡(ワン・モンファン)であり、6年後、彼女と一緒に日中当代表演交流会(以下、交流会)を立ち上げることになった。彼女にとってどうかはわからないけれども、わたしにとっては、この不快さが、このプロジェクトを進めるにあたってのひとつの原風景となっている。
2023〜24年にかけて活動を開始した交流会は、王梦凡、上海で活動するインディペンデントキュレーターの张渊(ジャン・ユアン)、そしてわたしの3人で立ち上げ、直後に山本卓卓が参加。これまで、オンラインでのミーティングを行ったり、2024年には中国で、2025年には日本で対面のイベントを行ってきた。現在は、日本からはわたしと山本卓卓のほかに、坂本もも、中国からは王梦凡、张渊、安娜の合計6人が参加。だが、これは「組織」のようなかっちりとしたものではなく、どちらかというと「集まり」という印象に近い。「運動体」という言葉も当てはまるような気がするけれども、そんなにかっこいいものでもない。
ここには、ダンサー、振付家、演出家、キュレーター、プロデューサー、劇作家など、さまざまな職能の人々が集まっている。けれども、わたしたちが目指すのは、作品の創作ではなく「交流」である。現在のところ、来年中国で開催予定の交流会に向けて作品の上演を考えているのだけど、この作品は、きっと作品創作を目的として生み出されるのではなく、あくまでも交流の結果によって生まれるものになるだろう。つまり、「わたしたち」が作品を作るのであって、わたしたちが「作品」をつくるのではない。


いったい、どうしてわたしたちは、そんなにも「交流」に重きを置くのだろうか?
まず、「交流」というのは「仲良し」であることを意味しない。いや、本当のところはとても仲がよく、みんなで東京から京都に移動したときは、新幹線の座席を対面にして6人向かい合わせになってお菓子を分け合うくらいなのだけど、それはまた別の話だ。わたしは、それが、国際的な舞台芸術業界における支配的な価値観に対してのオルタナティブとなり得るのではないかと考えているから、積極的に交流という言葉を選んでいる。
西欧において白人男性社会を中心に発展してきた「世界」の舞台芸術において、いまだにアジア人であるということはマイノリティであることを意味し、「世界」から庇護を受ける対象であることを意味する。だから、2018年のベルリン演劇祭で、彼らは(権力を持たないという意味で)「弱い」わたしのことをもてはやし、庇護していた。わたしがそこに居場所を与えられるのは、「世界」がいかに多様性に配慮しているかの証左であり、「世界」がいかに寛容な社会を築こうとしているかの証左となるからだ。つまり、「世界」は「彼ら」のためのものであり、わたしのためのものではない。
わたしは「世界」からはるか遠くにいる。
そんなわたしがすべきことは、極東のほうから来たんですが、そちらにちょっと参入させていただいてもよろしかったでしょうか? とお伺いを立てることではないし、「世界」が多様性を確保するための取り換え可能なアタッチメントとしてわたくしめをご利用いただけますと幸甚です、でもない。そうではなくて、「世界」とは別の、わたしたちにフィットする世界をつくることじゃないかと思う。
それはきっと、振付家、演出家、劇作家といった職能からではなく、お互いがこれまで培ってきた「流」れを「交」わらせるようなことからはじまるのではないか。だから、交流会では一緒に時間を過ごすために集まり、お互いにワークショップを行ったり、双方のコミュニティがつくってきたものについて知り合ったりしながら、それぞれにとって割り切れないものを見つめる。大事だからあんまりたくさんの人には言いたくないような、「これおもしろくない?」をひそひそと語り合う。そうして、わたしの身体やあなたの身体にしっくりくる世界をつくろうとしている。

今年7月、宮古での合宿のときのこと。
宿舎に戻り夕飯を食べたあと、昼間に行っていたリハーサルの流れから、「暗闇を一緒に味わってみよう」ということになった。蛍光灯を消して、みんなで20分ほど黙ってみる。一般住宅なので漆黒の闇というわけにもいかず、それぞれの姿はなんとなく見えるという程度の薄暗い暗闇だったけど、それを共有している間、わたしたち6人の間でなにか、たいせつなものが交わされているような気がした。そして、予定していた20分が過ぎてもわたしたちは蛍光灯をつける気にもならず、ぼそぼそとみんなで暗闇の感想を話していた。すると、ふっと、誰かがカーテンを開け、わたしたちの目には星空が見えてきた。それは満天の星空とはいかないけど、東京や上海で見るそれよりも、はるかに多い数の星々だった。少し大げさな言い方をすれば、そのとき、わたしたちは6人で世界を見ていた。
交流会を通じてわたしがつくりたい世界とは、きっとそのようなものだと思う。
執筆:萩原雄太
