私は他者の存在なしに演劇を語ることをやめる。立脚した私とは、他者という重力(あるいは引力)によって支えられている。それを知るために何もニコラ・ブリオーの『関係性の美学』に高いお金を払ってAmazonから取り寄せる必要などない。私たちは私たちの経験に基づいた感覚から、他者なしに私が存在し得ないことを知っている。演劇はこの、他者との関係について深く学び、実践を通して私を獲得し研磨していく芸術であるということに近年、私は気がついた。人生における悩みの大半は人間関係だ。例えばお金の問題で悩んでも、根幹にあるのは「借金で人に迷惑をかける」あるいはクエンティン・タランティーノの映画風に言えば「イライラした大人にFワード連発で追いかけられる」的なことで、つまり借金地獄とは逃げ道のない人間地獄のことを言うのだ。病について悩む。これもまた、私の体から派生した家族への想いが、良き思い出と共に関係性の亡霊を浮かび上がらせ、今ここにある身体をこの世の誰かとの関係を結びつける執着として、やめさせない。

 ひとりの人間が生きるということは、ただそれだけで、多くの人を巻き込み、迷惑をかけているのだという前提に立つ必要がある。演劇の台詞が覚えられなければ、共演者やスタッフに迷惑をかける。しかし、では、その迷惑を恐れて台詞を完璧に覚えたとて、それがなんだというのだろう。舞台には予期せぬエラーがあり、人生もまたそうだ。そのエラーの対処をどれだけ華麗に優雅に楽しく行えるかどうかが、2025年以降を生きる我々の希望ではないか。一昔前の世代の伝説を真に受けて、高圧的に振る舞うことや飴と鞭を使い分け人心掌握をすることが仕事だと思い込む演出家たちはもう終わりだ。これからの演劇は、人と人との関係を良質にしていく努力の基に芸術化していくべきだ。作品をつくり、それを買って観てもらう。そのシンプルな営みの中に、人間の感情や思いやりや青春が存在していることを忘れてはならない。演劇だからこそ、今、その事実を強調できる時代ではないか。それは、能力や価値観の違う者同士が無理に足並みを揃える行為ではない。演劇は、むしろその差異を認め、同じ空間にいる人々とただ呼吸を合わせているのだ。

 言葉が通じないことは相手に迷惑なのだろうか。私が長年国際共同制作を続けて考えていたことはそれだ。あるいは通訳者にとって、私の日本語は迷惑なのだろうか。彼らはきっと迷惑なんかじゃないと言うだろう。しかし、私がそれにいらない気を揉めば、きっと「迷惑だ」と思い込むことも可能だ。現地の言葉を話せない自分が悪いのだと。

 まずもってこのような思考回路では、とてもじゃないが国際共同制作はできない。私が現地に着く時間に合わせて、先方のスタッフが空港で出迎えてくれる。このような他者の力と時間を割いてまで私を歓迎してくれるその様を、仕事だから当たり前だとふんぞり返る必要などまったくないし、ましてや迷惑をかけて申し訳ない、などと必要以上に思い詰めることもないだろう。でも、例えばタイからしてみれば、また知らない迷惑な日本人がやってきた、と思うこともできるだろう。現在の日本が外国人を過剰に迷惑がる風潮の矛先が、別の国で日本人に向けられることだってあることを棚には上げられない。

 でも、みんな基本的に優しい。私が国際交流をしてきた、マレーシア、タイ、インド、シンガポール、インドネシア、アメリカ、韓国、中国、どの場所でも、人は困っている他者に手を差し伸べてくれた。そこには「迷惑」という熟語を越えた、素朴で純粋な利他の感覚がある。役に立ちたい、人を笑顔にしたい、喜んでもらいたい、その気持ちが人間の根に眠っていると感じた。

 現代人はとにかく損を嫌う。体力の損、金の損、感情の損、時間の損、そうした損を恐れて、内に籠り身を守る。誰にも迷惑をかけないように、完璧に台詞を覚え、ミスのない上演を目指す。それを目指す過程で、人との関係を通して生まれる喜びや希望は、いつの間にか”ミスのない上演”の二の次に置かれてしまう。感情とは、本来エラーのようなものなのに。そのエラーを受け入れ、楽しむだけのおおらかさを、私たち人間はまだ身につけていない。

 現在私が中国のアーティストたちと行なっている「日中当代表演交流会(以降、日中交流会)」は、こうした「損を恐れる時代の思考」を超え、もう一度「交流」という言葉の本質を見直すための試みである。成果という名の数値化された作品の出来不出来の何者かによるジャッジメントに、本来の目に見えない「交流」の成果は価値として認められなかった。国際交流の先にある個人の感情や思考の発展は、短期的評価軸では捉えられない。前述の通り、時代は目先の損を嫌うから、この小さな水脈がひとつに集まりやがて大河に繋がることを想像しない。私は、演劇作家として100年以上先の未来をデザインしている。そう自負できるのは、物語の力、伝承の力、言葉の力を信じているからだ。

 日中交流会には、100年先の日中関係のあり方を占う姿勢がある、などと大仰なことを言うつもりはない。ただ、我々が国家の思惑や、誰かの政治的感情によって、無理矢理に発足したものではなく、あくまで私的に、かつ詩的に、例えばひと粒ひと粒の水滴が蒸発して虹を作るといったような、自然現象的にできた関係であることを知ってほしい。友達の友達がたまたま中国人で、そして友達になり、仲間になり、やがて共に作品をつくる。そしてこの友情は、私たちを翻弄するあらゆる文化的、国家間的疑心暗鬼にもさらされない。私たちは日本、中国というプロフィールの前に、人間として交流をしている。このことは、今後私たち人間が平和と安寧を求める中で、現在の資本主義の独善的なあり方を見直すうえで、参照にはなるだろう。

 国際展開とは、国を広げることではなく、関係を更新し続けることだ。つまり私は、アーティストとして更新し続ける責務を担っている。どんとこい、と思う。私はずっと、これまで、嫌になるほど、演劇を通して人間について考えてきた。その過程で、自分が人間であることを、本当に本当に本当に嫌になる瞬間がたくさんあった。自分に対してだけではない。他者に対して、そして世の中に対して、人間のいる場所全てが憎くて仕方なかった。

 でも人は変化する。私も変化した。そして人間関係も変化する。諸行無常。どうせ人間いつかは滅びる。であれば。ならば。今ここにある関係を、投げ出してしまうのではなく、大切に育てていきたい、と思うようになった。それが滅び、振り返った時に、嫌な思い出であるよりは、良い思い出であった方がずっといい。人として生きることは他者と関係すること。他者を切り離し、ひとりで生きていこうとすることの先に、演劇の未来はない。演劇は、他者の身体と呼吸を共有することで、「私」という閉じた糸をいったん解体し、再び立ち上げる。自らを他者の中に、他者を自らの中に見出すこと。その発見を繰り返すための装置として、演劇は社会に応用されていくべきだ。

 「私」を必要とする、誰かのために。


執筆:山本卓卓