いきづまりで訪れた韓国で無知を恥じる
劇団付きプロデューサーを職業とする私は、作品をつくりたい作家の欲求に対して、「なぜそれをするのか」意味づけをするところから仕事がはじまる。生きることとつくることが同義なタイプの作家である山本卓卓のそれとはべつに、人やお金を集める立場の責任として第三者を納得させる理由を見つけなければならなくて、常に作家に問い続けてきた。
「なにをつくりたいの?」「どうして?」「なんで?」
ある時、「俺にばっかり聞くけどあなたはなにがしたいの?」と逆に問われて、なにも答えられなかった。制作はアーティストのやりたいことを実現させるための仕事、と思って劇団を引っ張ってきたつもりだけど、それって劇団や作家に依存しているだけかもと気づかされた時、私って空っぽじゃんと怖くなった。慣れない育児と仕事をかろうじて両立させながら、貯金もまったくない自転車操業のうえに、興行で大きな赤字を出してしまい、演劇を続けていくのがしんどい時期だった。2019年。当時はまだ制作と名乗っていた。
じゃあなぜ今プロデューサーを続けているかというと、その年ひとりで訪れた韓国での、強烈な体験が転機になったように思う。
日本と韓国の関係が悪化していた2019年。翌年に範宙遊泳のソウル公演(第9回現代日本戯曲朗読公演『その夜と友達』)を予定していたけれど、今後の情勢次第では開催が危ぶまれるかもしれないと先方から連絡を受けた頃、ON-PAMが【国際関係と文化交流–韓日舞台人の交流会–】を緊急開催するとの情報を目にした。
<ON-P AMのイベント告知文より抜粋>
国際関係と文化交流 ー韓日舞台人の交流会ー
【日時】2019年10月9日(水)16時~18時
【会場】ソウル文化財団 大学路稽古場 セミナールーム(詳細は申込受付後、ご案内します)
ソウルにおいて、【会員提案企画】 「国際関係と文化交流 ー韓日舞台人の交流会ー」を緊急開催し、両国で活動する舞台関係者が集まり、意見交換を行う機会を持ちます。悲しいことに、この状況は今に始まったことではないですが、日本と韓国の関係が悪化しています。日本では、あいちトリエンナーレにおいて「平和の少女像」を展示した「表現の不自由展・その後」の中止が問題になっていますが、韓国においても、数年続いた韓日フェスティバル間の交流が途絶えたり、日本関連の公演がキャンセルになるなど、具体的な影響が出ています。この状況だからこそ、メディアを通した情報を受取るだけでなく、実際に出会い、対話する時間が必要ではないかと考えました。
「現在の日韓関係の問題も、対話を難しくするというよりは、より深い対話の機会になると思っています。国際関係と文化交流が一致する必要はありません。例えば、ある国の政府が歴史認識を改めるには 100 年かかるかもしれませんが、アーティストは 1 秒でそれをできます。そのずれをマネージメントすることが私たちの仕事ではないかと思っています。したがって、継続が最も重要です」(丸岡ひろみ・Korea Arts management serviceメールマガジン寄稿文より抜粋)
日韓問題についてなにも知らなかった私は、公演前に両国の政治的立場を理解する必要があるなと思い立ち、初めて一人で異国に旅に出た。渡航前に少しでもインプットをと本屋に行ったけれど、いわゆる嫌韓本のようなものもたくさん見受けられ、日韓問題を扱う書籍のどれを買うべきなのか、判断がつかず困った。結局『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ 著/斎藤真理子 訳/筑摩書房)を買って、ソウルに向かう飛行機の中で読んだ。
たぶんはじめて、フェミニズムを明確に意識した瞬間だったと思う。結婚と出産を経て幸せを感じつつも、これまでと同じようには仕事ができず、自分の存在がパートナーや子どもの付属物のように感じていた。自分の犠牲で夫の作家活動やひいては劇団が成り立っているのだと思いこみ、そんな風に思ってしまうことへの罪悪感にへこむ。だけどいま私は、自分で渡航を決めて自分で旅程を手配し、自分のお金で学びを得るためにここにいる。昼間から白ワインをかぷかぷ飲みながら、空の上でこれを読むよろこび! 大袈裟ながらちょっと泣いた。私が私でいられる、母ではない時間は久しぶりだった。

ソウル行き飛行機からの1枚
「韓日舞台人の交流会」は、テハンノの稽古場で、ひっそりと行われた。韓国側の参加者は舞台芸術関係者やアーティストのほかに、研究者やジャーナリスト、歴史の教科書を作っている方などもいたと記憶している。対立している二カ国の人たちが集うのだから、やや厳しい意見の言い合いもあった。緊張感のある空間だった。参加したからには発言せねばと、「無知を恥じています。親や教師や政治家など一般的に正しいといわれる側の立場の大人たちも嘘をつくことがあり、何を信じるべきなのか自分自身で判断できるように学びたいです。」というようなことを言った。とても幼い発言でまた恥ずかしいが、これくらいしか言えることがなかった。
会場では当然ながら韓国の年長者の方の失笑を買い、「若いですね」の言葉には落胆と苛立ちのニュアンスが感じられた。同世代くらいの青年が「昔確かに色々ありましたが、僕らの世代は文化で交流ができます。僕はYouTubeで範宙遊泳みてます。来年の公演楽しみにしてますよ」とフォローしてくれた。べつに自国を代表してここに来たわけではないし、この場で日本人としての罪を問われているわけではないのに、いたたまれない気持ちで泣きそうだった。私は今ここに生きている私でしかないけれど、自分の生まれ育った国がかつて、この国を侵略したという加害の歴史は無視できない。それぞれの国の背景を抱えたまま、国と国の関係性を個人と個人の交流で、どのように更新できるのだろうか。
「無知は恥」という言葉を実感したのは生まれてはじめてだった。それぞれの国の歴史、日本の植民地政策をなにも知らないでいた自分に気づいたこの経験は、私の演劇に取り組む態度にじわじわと変化をもたらした。ただ作品をつくるだけではない、文化交流のずっと手前にあるもの。そもそもなにもかもが圧倒的に異なる他人と一緒に創作しなければならない演劇行為そのものを、見つめ直す出来事だった。

国立現代美術館 (MMCA) 開館50周年記念展 「The Square: Art and Society in Korea 1900‑2019」でみたインスタレーション作品。「韓日舞台人の交流会」の写真は1枚も撮っていなかった。
余談ですがその後、【「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし(加藤圭木 監/一橋大学社会学部加藤圭木ゼミナール 編/大月書店)】という素晴らしい本に出会いました。続編の【ひろがる「日韓」のモヤモヤとわたしたち(同左)】【大学生が推す深掘りソウルガイド(加藤圭木 監/朝倉希実加 編/李相眞 編/牛木未来 編/沖田まい 編/熊野功英 編)】も激しくオススメです。
「日中当代表演交流会」とはなんだ?
はじめ、これまでただひたすら作品をつくってきた身としては、「日中当代表演交流会」(以降、「交流会」)の大きな特徴である作品をつくらない集合体というのが、いまいちピンとこなかった。上演を前提としたこれまでの国際共同制作でも、お互いの興味関心を持ちより対話を重ねて理解しあう「交流」は行われていたように思われ、これまでといまのなにが異なるのかよくわからなかった。範宙遊泳の海外展開はほとんどアジア圏だったため、非ヨーロッパ圏であることを強く意識したことも、ドイツではぎーさんが感じたという不快さも、私個人としてはあまり経験したことがなかった。「なんのために国際的な活動をするのか」と問われれば、助成金で育成されているプロデューサーとしては、「知りたいから、学びのため」なんて言葉ですますことはできない。でも本当に、ほかになにがあるだろうか。「交流会」では、それを見つけようとしている。
日中当代表演交流会とは・・・かもめマシーンの演出家・萩原雄太、中国出身のダンス演出家・王梦凡(ワン・モンファン)、上海で活動するインディペンデントキュレーターの张渊(ジャン・ユアン)が2023年に立ち上げた交流会に、範宙遊泳の山本卓卓が加わり、クリエイター育成支援事業の枠組みに入った翌年から坂本ももと、中国からダンサー・ダンス演出家・研究者の安娜(アンナ)が合流した。交流会の成り立ちやこれまでの活動ついては、先んじて公開されたはぎーさんやすぐるさんのコラムをぜひ読んでほしい。
今年の夏、宮古市民文化会館の「三陸AIR」というプロジェクトに採択され、大きな一軒家で6日間、寝食をともにした。震災の記憶を学び、水や儀式をキーワードに土地を歩き、創作やワークショップも開催した充実した日々のなかで、一番印象深いのはみんなで料理をしてごはんを食べたことだった。
最初の朝ごはんでモンファンが茹でてくれたゆで卵はもっちりしていて、お世辞じゃなく今までで一番おいしいと感じた茹であがりで、思わずどうやったのか聞いてしまった。(沸騰したお湯で5分だけ茹でるらしい)
アンナの故郷の味だという「鶏肉とじゃがいもを炒めたやつ」は、ネギの青いところを炒めた油と醤油、砂糖がないから蜂蜜で味付けされていて、あまじょっぱくてこっくりとした優しい味。帰京して再現したところ子が大変気に入り、我が家では「いもにく」と呼んでいる。
一番たくさん作ってくれたのははぎーさんで、帰宅して一度も座らずに台所に立つので驚愕した。スーパーや市場で買ったお刺身に、大根や茗荷を刻んで薬味を添えるなんて! オクラは薄切りにして醤油を垂らし生で食べると教えてくれて、新鮮なオクラはもう茹でない。
(たぶん)最年長のジャンユアンは、この擬似家族の「おじいちゃん」だと言って、早起きの朝にゆっくりとコーヒーをドリップする。
すぐるさんは、みんなが台所に立つ間にお風呂を洗って沸かしたり、掃除機をかけたりしていた。
誰かが料理をしているとき、別の誰かが取り皿やグラスを並べる。誰かが洗い物を始めると、隣で誰かが皿を拭く。料理という行為で起こる当たり前の自然な連携プレーが、新鮮で心地良かった。プロデューサーとして物事を管理して進行しなければならない、常に決断を下す立場だと凝り固まっていた自分自身が、柔らかくほどけていくような感覚を味わった。われわれに決められた役割などない。それぞれがしたいように過ごしながら、適材適所を見つけていけばいい。そうやって一緒にいるなかで、わざわざ「対等」とか「自由」とか、言葉にする必要もなかった。


私たちの食事の風景
私にとって「日中当代表演交流会」が行う「交流」は今のところ、大事な人の大事なものを同じように大事にしようとしてみる行為、のように思う。一年前にはお互いに存在すら知らなかった彼らと一緒にいられるのは、とりあえずあなたが信じている誰かを私も信じてみるね、という、無条件の信頼があるからだ。互いに流れを交じり合わせる「交流」は、そういうささやかな想いの積み重ねに支えられているのではないか。あなたを理解するために、同じものを見て、話して、一緒にものをつくろうとしてみる。「交流」の果てにたまたま作品が生まれるという順序に、いまは納得がいっている。そのアウトプットがなぜ演劇なのかは、この活動をとおしてあらためて言語化しなければならない。
宮古の家に到着しておのおの荷解きをしていたらモンファンが、「祭壇をどこに作ったらいいかな?」とみんなに聞いた。チベット仏教を深く信仰している彼女は、お家からブッダを連れてきているらしい。L字型に3部屋続き間になっている角っこのモンファンとアンナの和室には適当な場所がなく、みんなでぞろぞろと部屋をのぞきあって、「ここはこの神棚とけんかしそうだからやめとこう」とか言いながら、玄関を入って正面に鎮座していた大きな棚を使うことになった。みんなが毎日必ず目にする場所に彼女の神様がいる、ということが、私たちの「交流」のあり方だと思った。

モンファンの祭壇。滞在中に彼女が拾ってきた自然の記録が増えていった。
日中関係が悪化していくなかで、この活動がどう転がっていくのか正直わからないけれど、国同士の関係がどうなったとしても、私たちの 「交流」は続くだろうと信じられる。あなたのことを大事に思いたい、あなたの大事を私にも大事にさせてほしいという気持ちだけは変わらないと、ここに記しておく。

わざわざ七輪を買ってBBQをした。夏の思い出。
