
提供:国際芸術祭「あいち」組織委員会
撮影:相模友士郎
国際芸術祭「あいち2025」のパフォーミングアーツ部門プログラム作品の一つとして、AKNプロジェクトによる喜劇『人類館』(作:知念正真、演出:知念あかね、新垣七奈)が愛知県芸術劇場小ホールにて上演された[1]。1976年に演劇集団「創造」によって初演された『人類館』は、1903年に大阪で起きた「人類館事件[2]」に題を取りつつも、「ごっこ遊び」と「ドンデン返し」を複雑に組み合わせ、近現代沖縄において反復されてきた差別や抑圧の歴史を描きだした、戦後演劇史における特異点的な作品だ[3]。本作の登場人物は3名のみで、それぞれに具体的な名前は与えられず、「調教師ふうな男(以下、調教師)」(神田青)、「陳列された男(以下、男)」(仲嶺雄作)、「陳列された女(以下、女)」(井上あすか)とあるだけだ。物語は、「人類館」で展示された男と女のところへやってきた調教師による「みなさん今晩は。今日は我が「人類館」へようこそおいでくださいました」という口上から始まる。そこからさまざまな枠物語を横断しつつ、方言札や「イモ・はだし論」など沖縄と不可分な文言やエピソードを散りばめながら、人類館事件はもちろん、皇民化教育や沖縄戦、米軍支配からベトナム戦争、本土復帰に至るまでの沖縄近現代史を辿っていく。
このようにして『人類館』が描くのは、近代以降の沖縄で繰り返されてきた「日本人」になることをめぐる闘争の歴史だ。しばしば指摘されるように、沖縄の人々は「日本人」から向けられたオリエンタリズムの眼差しを感じれば感じるほど、自らの身体に刻まれた「沖縄人」性を抑圧・抹消し、「日本人」に同化しようとし続けてきた[4]。全体を通じて、調教師は男と女に繰り返し「日本人」らしく振る舞うように、というよりも「沖縄人」らしい振る舞い(=方言や「ファッークスゥ!」というクシャミの仕方)をしないよう求める。そこで明らかになるのは、「日本人」の境界それ自体の曖昧さに加え、「日本人」になることとは、なにより「沖縄人」らしい振る舞いをしないことと表裏一体だった、という事実だ。
なかでも、作中でたびたび問題とされるのが、彼らが喋る方言(=沖縄大和口)だ。そこには単なる一方言にとどまらず、「沖縄人」と「日本人」の境界画定に直結する問題とされてきた沖縄語の歴史が反映されている。「普通語」とされた日本語に対して、沖縄語は劣った位置に置かれ、指導や抑圧の対象とされてきた。特に1940年代以降は、沖縄語の使用者は「道徳的犯罪者」や「スパイ」などとして監視・検挙され、さらには「日本人」ではないものとして殺害されもしたのである。作中でも、どれだけ調教師に指導されようと「天皇陛下万歳!」ではなく「天皇陛下ぁ、バンジャーイ!」としか言うことができなかった男は、「スパイ」として斬り殺されてしまう。このように「日本人」になること、より正確には「日本人」を演じてみせることは、沖縄においてつねに生存の必要と結びついてきた。「日本人」から向けられた眼差しに対しては、自らも同じ「日本人」であることを示さなければならなかったのだ(それが最終的に「天皇陛下万歳!」と叫んで死ぬ身体に帰結したことはいうまでもない)。
しかし、指導者たる「日本人」として高圧的な態度を取り、「おれは琉球の方言が大っ嫌いなんだ」などと語った調教師もまた、「日本人」を演じていたに過ぎなかったことが終盤で明らかとなる。彼もまた「日本人」の眼差しを内面化し、それに同化することで「日本人」たろうとした「沖縄人」だったのである。この調教師の姿は、自らに課せられた「野蛮さ」を台湾や東南アジアの人々、あるいは他の「沖縄人」へ転移させることで、自らよりも下位の対象を眼差し、指導・調教する「日本人」になろうとしてきた沖縄の写し絵でもある(そこに「西洋」や「アメリカ」になろうとしてきた近代/戦後日本を重ねることもできる)。実際、「人類館事件」での沖縄の抗議からは、自らを「日本人」として位置づけることで、アイヌや台湾先住民の人々に対する別の差別の主体へと転じていく様が見て取れる[5]。そして調教師は、沖縄の歴史を象徴する芋を地面に叩きつけると、なぜかそれが爆発して死ぬ。あまりにも唐突な最期がもたらす異化は痛烈な皮肉に転じ、「日本人」を演じることを繰り返してきた歴史そのものの空虚さを露呈させる。

提供:国際芸術祭「あいち」組織委員会 撮影:相模友士郎
このように「日本人」と「沖縄人」をめぐる歴史の根幹を問う『人類館』は、さらに、その「喜劇」性によっても特異な作品になっている。そもそも戯曲『人類館』自体は、イヨネスコやジュネ、あるいはアンダーグラウンド演劇からの影響が色濃く見られる作品だ。知念正真が劇団青芸の研究生で唐十郎と同期だったことは知られているが、唐や別役実、つかこうへいらの作品と『人類館』との影響関係や同時代性が指摘されることはほとんどない。ここで細かく比較検討する余裕はないが、アングラ演劇は自らを「河原乞食」など被差別者側に位置づけ、そこから立ち上がる情念を演劇的エネルギーに転化してみせたのだし、在日二世だったつかの初期作品は、「日本人」を演じる者の悲哀と空虚さを「悪意ある笑い」と共に鋭く突きつけてみせたのだった。「観客が笑えば笑うほど、作者としては「ざま見ろ」というような構造になっているのじゃないか[6]」という有名なつか評は、在日の編集者・批評家だった久保覚によるものだが、ほとんど『人類館』にも当てはまるように思われる。観客は笑えば笑うほど自らを笑い、そこに向けられた眼差しはそのまま自らへと跳ね返ってくる。かつて大城立裕は『人類館』を「深刻な動機に発した笑いを満載した、爆弾のようなもの[7]」と評したが、それを通じて自らの自明性が根幹から揺さぶられるという意味で、たしかに『人類館』は危険な「爆弾」だったのである。
しかし今回の演出は徹底して、『人類館』の喜劇性からの距離を感じさせるものとなっていた。とりわけ、それは俳優の演技にあらわれていたように思われる。全体を通じて俳優は常時均質な熱量で演技しており、喜劇に必須の緊張と緩和の往還運動を欠いた、常に緊張=緩和状態という生真面目さの範疇にとどまっていた。そしてその結果は、観客の笑いの少なさというかたちであらわれていた。今回の公演では、わざわざ「喜劇」と冠していたにもかかわらず、私が見た2回とも客席からの笑いがほとんど生じていなかったのだ。この笑いの少なさは、過去の『人類館』記録映像と比較しても顕著に感じられた。
その理由のひとつには、作り手や観客と『人類館』との間に存在する世代的・地域的な距離が考えられる。当然ながら、時代や地域が異なればいかなる作品にも理解不可能な部分は生じる。特にその喜劇性は理解困難であることが多い。実際、作者自身も『人類館』を「一種の共通項・共通体験というものを下敷きにして出来上がった芝居」とし、例えば調教師の「すなわち芋と裸足であります」という台詞で笑うかどうかに世代の差が現れると述べていたのだった[8]。このように、そもそも現代では『人類館』の喜劇性は理解し難くなっているように思われる。今回の公演も、公演パンフレットに詳細な用語解説を掲載するなど世代や地域間で生じる理解可能性の差に意識的ではあった。だがそれでも舞台上の成果は、もはや現代において『人類館』は喜劇たりえないことを示しているように感じられた。またもうひとつの理由として、いまや『人類館』そのものが歴史の一部と化していることが考えられる。歴史の一部と化した戯曲はある種の権威を帯び、演出のみならず観客の受容態度にも無意識のうちに誠実さを要求する。それは例えば、舞台美術を抽象化しそれを囲むコの字型に客席を変形させつつも、台詞は戯曲のまま省略や変更を行わなかった判断にもあらわれているように思われた。いわば今回の上演は、戯曲に誠実かつ丁寧に向き合おうとしたことで、逆説的に『人類館』のエネルギーを中和し、「喜劇」からの「遠さ」を強く感じさせるものとなっていたのだ。
一方でこの演出は、『人類館』の上演空間を、客席も含めた一つの状況へと変化させるのには効果的だった。それは、観客を作中に巻き込み没入させる状況ではなく、上演を見るという観客の行為それ自体を逆照射するような、ブレヒト的な意味での〈状況〉だ。結果として、観客は「ごっこ遊び」にも「ドンデン返し」にも巻き込まれることなく、その外側から自らの「見る」行為そのものと反省的に向き合わざるをえない状況のなかに置かれていた。「いま・ここ」で『人類館』を見ている私は一体誰の眼差しに同化し、誰を眼差しているのか、と常に問いながら上演と向き合う状況が構築されていたのだ。
そして最後の場面。死んだ調教師に代わって新たに調教師の格好になった男は鞭を手にし、冒頭での調教師の口上を繰り返す。「歴史は繰り返す」ことを示すためのこの場面は、しかし、今度は異なった終わり方を迎える。男は客席へと向き直り、穏やかな口調で「しからば、無知を一掃し偏見を正し差別を無くするにはどうすればよろしいか……」と問いかけるのだ。舞台の枠組みを超えて観客に問いかけるこの場面に至ってようやく、私は『人類館』の歴史が現在へと開かれたように感じた。終わらない歴史の反復を生きる私には何が可能か。『人類館』の問いはつねに現在形の問題として繰り返され続けている。
[1] 2025年11月23日13時の回と18時の回を観劇。
[2] 1903年に大阪で開催された第五回内国勧業博覧会における「場外余興」の一環として設けられた「人類館」(のちに「学術人類館」)では、琉球やアイヌ、台湾の人々を含む「異人種」が集められ、「固有の住居」に似せた空間のなかで「固有の衣装を着せられ日常の起居動作を見せ物にされた」という。開幕前から清や大韓帝国から抗議が寄せられ「展示内容」が変更されたのに加え、開幕から約1ヶ月後には沖縄から激しい抗議が寄せられ、「琉球婦人」2名の「展示」が中止された。この一連の出来事を「人類館事件」という。金城勇「学術人類館事件と沖縄─差別と同化の歴史─」、演劇「人類館」上演を実現させたい会編『人類館 封印された扉』アットワークス、2005年、41頁。
[3] なお、本作にはいくつかの改訂版が存在する。今回の上演で用いられたのは、2003年に大阪人権博物館で行われた公演の上演台本と同じものと思われる。各版の詳しい差異は、坂本(平敷)尚子「沖縄人の自問自答──知念正真「人類館」再考」『演劇学論集』第46巻、2008年を参照。
[4] 小熊英二『〈日本人〉の境界 沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』新曜社、1998年、587-588頁。
[5] その例としては、太田朝敷による「台湾の生蕃北海のアイヌ等と共に本県人を撰みたるは是れ我を生蕃アイヌ視したるものなり我に対するの侮辱豈これより大なるものあらんや」という主張が挙げられる。小原真史『帝国の祭典──博覧会と〈人間の展示〉』水声社、2022年、116-118頁。
[6] 大笹吉雄、菅孝行、久保覚、扇田昭彦、森秀男「歴史がふり向くとき」『新劇』1977年1月号、白水社、48頁。
[7] 大城立裕「『人類館』の東京公演を観て」『沖縄演劇の魅力』沖縄タイムス、1990年、321頁。
[8] 「演劇「人類館」作者・知念正真氏を囲んで」、『人類館 封印された扉』、298頁。
国際芸術祭「あいち2025」
AKNプロジェクト『人類館』
会期:2025年11月22日(土)~11月24日(月・振休)
会場:愛知県芸術劇場 小ホール(愛知県)
公式サイト: https://aichitriennale.jp/artist/akn-project.html
執筆:関根遼
